論理力を鍛えるトレーニングブック
要点
なぜ、今ロジカルシンキングなのか?
高度成長期では、アメリカに追いつけ追い越せでがむしゃらに、猪突猛進に働く事がつまり、行動している事が美徳であり、これらが今の日本を築き上げて来ました。しかし、今ではビジネスの環境が変化してきています。投資銀行やコンサルティング業などプレゼンテーションを巧みにし、多くの人に信用してもらい、動いてもらえる人、つまりマネジメントがうまい人がエクセレントなビジネスマンという印象になっています。一方で、日本を支えて来た職人という人々はなんだか今の日本では天然記念物のような存在に感じるのは私だけではないはずです。技術は、己の目で盗め、体で感じて覚えるのだといわれるとなんだか哀愁さえ感じてしまう昨今になってしまいました。それだけ、ビジネスの世界が、スピーディーでかつ、効率を求めるようになって来たのだと感じます。そんな環境の変化で必要になってくるのが、ロジカルシンキングです。合理的に考え、コミュニケートする際にこの考えは有効です。ビジネスは、スピードと合理性を追求するようになりました。だからこそ、無駄な事は、議論しない。そして、みんなに分かりやすくしなければならないのです。
ロジカルに考えることができるとどうなる?
1 人を共感させ動かす事が出来る
2 短時間で道に迷わず思考することができる
3 行動する前に考える事の重要性がわかる
4 論理思考と屁理屈は違うものだとわかる
以上のようにビジネスにおいてロジカルに考える事は、無駄を省くだけでなく、組織をさらにうまく活発化させる非常に良い潤滑油の役割を果たしそうだということが分かります。
ただ、3に関しては、私は異論があります。この本に、
多くのビジネスパーソンに取材をしていると、自分は走りながら考えるタイプなのでという言葉をよく耳にする。似たような言葉に、「習うより 慣れろ」「下手に考え休むには似たり」などがあり日本には、思考を軽視する言葉、思考が中と半端なことを正当化する言葉がたくさんある。
といっています。私は、むしろこのようなビジネスマンはエクセレントだと感心します。考えなんぞ基本的に限界があると思います。確かに、考えを軽視するのはどうかと思いますが、行動してからではないと見えてこないもの、学び得ないものがたくさんあると思います。行動し実際に経験しながらで考えることで理解が深まっていき成長していくのではないのでしょうか。ロジカルシンキングができれば失敗から避ける事も出来るとかいてありますが、多少の失敗は逆に会社にとっても良い栄養剤になるのではないかと思います。個人的に、何も行動していないのに、メディアやインターネットの情報だけで判断し、一般論をあたかも自分の意見かのように巧みに話す奴は大嫌いです。そして、大学にもそういう奴がたくさんいます。著者は、ロジカルシンキング絶対論を展開しているように感じますが、やはり行動が伴っていなければ誰もついていかない気がします。例えば、自民党を見れば一目瞭然です。選挙戦にあたり自民党は責任力をうたっているが、表面上では良い事を言っても、1年で3人総裁が誕生し、うち2人は投げ出し辞任した政党が「責任力」といっても説得力が無さすぎます。笑い話としかいいようがありません。行動あって、言葉に重みが増すのではないでしょうか。極端な話、言葉巧みに操る経営学部の教授と実際に起業して成功した口下手な社長に起業のアドバイスをもらうとしたら、あきらかに後者の人に話を聞きたいと思います。
今回は、ロジカルシンキングの本なので、行動を軽視しすぎだと私は感じてしまったのかもしれませんが、考える事の重要性は、痛い程分かっているので両方のバランスが重要だということを肝に命じたいと思います。
本文
ロジカルシンキングは、私もあまり得意ではなくこの本を読んでまだまだ特訓が必要だなと感じました。そして、この本を読み終えてフトある本の存在を思い出しました。ロジカルシンキングもそうですが、大学1年の時に読んだクリティカルシンキングである。これは、かなりの衝撃を私に与えた。いかに自分の考えが浅いもので片寄っていたのかを思い知らされたからです。それ以来、私は自分なりに考え方を改め、物事を大局的に見るように努力してきたつもりです。(それが功を奏しているかは不明だが)その本(クリティカルシンキング 入門編 著 EBゼックミスタ)を読み返してみて思う所があったので、課題とは路線が外れてしまいますが書かせて頂きたいと思います。
クリティカルシンキングとは、人間が陥りやすい思考の落とし穴や先入観による影響などを十分に理解した上で、そこから脱却し、物事を冷静に、客観的に、論理的に考え判断していくことを意味します。
現在では地球が丸いことなど誰でも知っています。しかし、エラトステネスが「地球は丸いよ!」と言うまで人間はみな同じ地球上にいてエラトステネスと同じものを見ていたのにもかかわらず、このことに誰も気づきもしなかったし考えもしませんでした。彼はそれをさらに一歩推し進めて三角法の基本を使って地球の大きさを計算したのです。太陽、月から地球までのおおよその距離までも計算していました。そしてこれらは非常に正確なものだったといいます。彼は木を見ても森を見失うことがなかったのでしょう。実際、彼は森〔地球〕を見失わなかったどころか地球が属している太陽系までをも見通していたのです。このエラトステネスの功績から、物事を大局的に考えることで完成度の高い考え方ができるようになり先見力もついてくるのではないかと思いました。思考の枠組みを広げることによって、視野が広がるだけではなく能力までもが高まったのではないかと。
このように大局的に考えることは容易にできそうであるが意外と難しいです。そう感じるのは私たちは、今まで人から教えられたことを機械的にインプットしてきただけで自ら考えるという場がほとんど与えられなかったからだと思います。答えが無い事にアプローチする事や、苦痛が伴う事を成し遂げようとする時には、ついつい簡単に楽にという歌い文句のモノに手を出してしまったり、ネット検索などで答えを見つけようとしていしまいます。しかし、実際ビジネスの世界には答えがありません、考え方のプロセスもありません。数学の答えとその答え方なんていうガイドブックは存在しないのです。そこで、解を見いだす為には、考える習慣をつけることが必要であり行動に移さなければならないと思います。そこで、考える習慣を通して大局的な見方を養っていくのにどうしたらよいか2つの具体的な行動を自分に提案したいと思います。
1つ目は、自分の知らない未知の分野にも積極的に関心を向け知識を吸収していくことです。ここで威力を発揮するのは“質問”だと思う。質問することによって自分がまだまだ分からなかったこと、知らなかったことが解決できる。また、質問する相手が自分にはできないことができる人などの特殊な場合は益々知識を広げるチャンスです。何かを学び、成長するときには、どういう質問をし、その答えを自分の人生に応用していくかを考えなければならないと思います。全体像、つまり大局的に物事をつかんで考えられる人は、自分がいかに無知かを知っており、鋭い質問をして理解を深め考えを広げていくのではないかと思います。大局的にものを考えるには、まず良い聞き手にならなくてはならないのではないでしょうか。
2つ目は、失敗を失敗で終わらせてはいけないということだ。大局的に考えることのできる人は、あらゆる経験から学ぼうと努力することによって、視野を広げていると思います。成功からももちろん学ぶこともありますが、失敗から学ぶほうがより重要だと思います。失敗から学ぶためには、学ぶためのスタンスが必要なのではと思います。これは、どんなことでも自分にプラスとなることはどんどん吸収していこう、という心構えのようなもので良い経験でも悪い経験でも大局を捉える助けになると思います。経験や成功が多様であればあるほど、学ぶチャンスも大きいです。大局的に考える習慣を養うためには、世界を広げ、いろいろなことをやってみるなど、勝ち負けを度外視して学ぶことではないでしょうか。すでにもっている知識だけで満足せず、あらゆる面での知識を吸収することは、考える時の手助けとなるばかりか考えの幅をももたらすと思います。これは、先ほどのエラトステネスの話のように無関係に思われたことどうしのつながりを見出したり発見、発展につながっていく足がかりとなると思います。
私はこの本を読んでぜひクリティカルシンキングを自分のものにしたいと考えました。しかしこれは、ロジカルシンキングのように本を読んですぐに身につくようなたやすいものではありません。身につけるためには多少の努力が必要だしマスターするには時間を必要とするとおもいます。そこで、まずはじめに、物事を大局的、客観的に見ることから始めようと考えました。そして、これを養っていくためにはということでまだまだ方法はあると思うが2つの具体的な例をあげてみました。これを実践していき、考える習慣をつけていけばクリティカルな考え方の基盤ができると思います。この基盤が整えば後は応用していくだけです。物事を深く考え、自分の意見を持つように積極的に行きたいと思います。
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