カリスマ体育教師の常勝教育
要約
タイトルと帯に掲載されている著者のいかつい写真から、精神論を中心とした練習量こそが勝利に比例するというようなガッツ系の本だと読む前に予想していました。しかし、その私の浅はかな予想を裏切り、テクニカルで体系だった方法で教育される“勝ち方”で学ぶ事が多い一冊でした。
心技体の特に<心>を鍛える事が常勝の前提条件であるという著者の持論の元、どのように鍛えていくかといったプロセスが、実際の教え子の例を元に分かりやすく記されています。
夢や目標、そしてそれを実現する為には何をすれば良いのかという大人でもハッキリしないあいまいな事を<書く>事でビジュアル化します。そして、人の潜在能力に叩き込むという方法で教え子達の心を強くし、自立型人間にしていきます。下に記しますが、自立型人間=サムライなのではないかと読み進めるうちに感じました。その徹底した心の教育、
つまり、現代のサムライを作る事が13年連続陸上日本一を作り上げる事ができた原動力だと思いました。
感想
はじめに
私は、この本を読み進めるにつれてある1つの言葉が頭に浮かび、それが頭から離れませんでした。その言葉は、「武士道」。著者である原田先生、そして生徒達は、まさに現代の”サムライ“だと感じました。というのも、私は、新渡戸稲造が書いた<武士道>を人生の教科書として持っています。その中に書かれている五常(仁、義、礼、智、信)のすべてが常勝教育の本で記されており、実践されていたからです。私も何か思い悩んだ時、それこそ何かに対して結果が出ないときなど、自分の行動を見直す為に読み、態度を正す事があります。本の感想を書くと言う事ですが、そのまま感想を書くだけでは、つまらないと思いましたのでこの課題本プラス新渡戸稲造の武士道を平行して読み、サムライ精神について考えを述べさせて頂く事にしました。
サムライ精神
サムライとは、まず強くなければなりません。弱ければサムライとは言いません。つまり、結果を出し続けることが生きる唯一の方法だったのです。普段の日常生活そのものが根本的に戦いを原理にしていることを忘れてはいけなく、強くなることを常に念頭に置きながら生活していたという事が大前提です。“誰よりも強くなる”それが、彼らの終わりなきゴールだったのです。
強くなるには、剣術の練習を毎日して技術力向上を目指せばよいじゃないと思うかもしれません。しかし、練習すれば強くなるがいずれ限界がきます。最後に勝ち残るのは腕自慢の武士ではなく、人間的側面が強い武士です。彼らはそれを知っていたのです。どこで知ったのか?教科書で教えてもらえるようなものではなく、何万人もの武士が何百年もかけて戦いの中で学んできたものが長年に渡り試行錯誤され伝わってきたのだと思います。負ければ死が待っているわけなので一切の妥協を許さずに常に自分探求をしていたのです。“武士道”はこうした探求の中から生まれてきた、いわば武士の知恵袋のような存在だと思うのです。 その武士道は武士道精神の心得である“五常”という形で表せます。仁〔思いやりの心〕、義〔人間の行うべき筋道〕、礼〔社会の秩序を保つ生活規範〕、智〔叡智、工夫〕、信〔信用、信頼〕です。これらとレベルの高い武力を持ち合わせることで鬼に金棒というわけです。逆に、技術的に優れていても五常の精神が欠けている武士は、二流の武士だということになります。
これは、私の実体験でも思う所があるので少し述べたいと思います。私は、素晴らしいコーチのもとトライアスロンをやっていました。素晴らしいコーチのもとには強い選手が集まってきます。こんな環境だったのでトップレベルの選手と寝食共にする機会が多々あり、色々と学ばせてもらいました。
トライアスロンの技術的なことはもちろんですが、人間的な部分で学ばせてもらった事の方が大きかったと思います。トップレベルの選手となれば、技術的なものはほぼ完全なので先の武士の例のように自分探求の領域に入っています。彼らは武士道精神が備わっていたと今思えば感じます。そして、私は実際にこの目で見ることで間違いなく彼らはサムライだと確信しました。例えば、
〔仁〕個人競技にも関わらず、1人では決して強くなれないと知っている彼らは、ライバルとあらゆる知識を共有し実力アップを図っています。時には、後輩の指導にもあたり、決して足の引っぱり合いはしません。
〔義〕常にフェアプレー精神でやっています。
〔礼〕あいさつは見知らぬ人にも気持ちよくします。
〔智〕強くなるために自分にあったスタイルを試行錯誤しています。現状維持こそが一番の悪だと考えています。
〔信〕コーチを信用し疑う事がない。これらはひとつの例ですがトップの人はそれらの意義を理解し実行しています。中には、大会でズルをしてしまう人やコーチを頼りすぎてコーチの言うがままに練習をこなす選手がいますが、そのような五常の精神が1つでも欠けている人は、いつも大会で良い結果が出ていませんでした。
実は、コーチを頼りすぎたという例は、私の事です。当時、強くなる為にコーチに与えられたメニューをひたすらこなしていたダケだったことにトライアスロンから離れ、ある日武士道を読んで気づきました。なぜ、当時気づかなかったのかと悔やまれますが、良い結果が出なかった理由が見いだされた事を大収穫としたことを覚えています。自分の頭で、どうしたら水泳が早くなるだろうか?その為には何をするべきか?目標を立てて、それにどのようにアプローチしていくかを考え、行動しなかった事が、一流と二流の差だったと強く感じました。これからは、後悔しないようにしていきたいと思います
思いやりの心
現在の日本は資本主義という輸入した経済システムのせいか、競争社会が定着し、私利私欲的な考えが蔓延してしまっています。資本主義がだめというわけでなく、お金もモノも大事ですが、それが絶対化してしまうと人格は崩壊してしまうのではないかと思います。過去に“お金で買えないものはない”と言っていつでもどこでもTシャツ姿の経営者がいましたが、商才は素晴らしかったと世間から評価されていたかもしれませんが、武士道精神のかけらもないと今思えば思います。結果的にビジネスという名の戦いに破れ、落ち武者になってしまいました。そうした資本主義によって忘れかけられているのが“仁〔特に惻隠〕”の部分ではないかと考えます。簡単にいうと他者への思いやりです。これが、競争社会の中で自分さえ良ければいいとして悪循環のループを形成しており、その利己主義こそが孤立社会やモラルハザードを生んでいると思います。確かに一番かわいいのは自分かもしれません。しかし、この世の中、1人で生きていくというのは不可能に近いです。社会の一員として生きていく以上、人は支えあって生きていくのだと金八先生が言っていましたがとても共感です。他者を考えて支えていけばきっと見返りがあるはずです。見返りを求めているだけなら本末転倒ですが、利他主義は、それによって好循環のループが形成され、全体最適を周囲にもたらすと思います。利己と利他をバランスよく考える事つまり、自分をコントロールすることが大切だと思います。それこそが現在に必要とされているサムライスピリッツなのではないかと考えます。
最後に
サムライとは、自分を高めよう努力し、武士道精神〔五常〕を備えている人だと私は結論づけます。そして付け足しとして、他者を思いやることを忘れてはなりません。サムライスピリッツは日本人の高い道徳として今もなお人々の心に宿っています。現在は、武士道精神は日本人の潜在意識にあるものの、資本主義の波や豊かすぎる社会に甘やかされて勢力を弱めているだけだと思います。私たちは、消滅しかけている武士道精神を早く自覚し行動することでサムライスピリッツを再生するように努めなければならないと思います。それが、“常勝”への第一歩!だと思うのです。